「言論の自由」というのは、為政者に対して民衆が勝ち取った自由であり、自由なのは為政者(権力)に対して口憚る事なく民衆(個人)が自分の意見を言える、という事だと私は思う。政治だけではなく、宗教や思想に対しても、だが。
で。
ひとつは、民衆(権力的弱者)が為政者(有権力者)に対しての自由であるという事。
民衆の声に対して、権力者がそれを塞ぐ・塞ぎに行くような権力を発してはいけない。という事は、この件に関して・・・安倍首相は、「首相という立場でメディアに出演している」状態で「私見」は通じないでしょう。発言は全て首相としてのもので、翻って発言は政府の公式見解となる。
首相にも自由はあるか?だが・・・無いでしょ。もしあるとすれば、それは自宅(官邸ではなく「自宅」)の自室で一人の時か便所か一人ではいる風呂の中、くらいなもの。
これね。
靖国神社参拝にも繋がるのよ。
首相(や大臣などの政府官、それに公務員全般)が「個人として参拝」はありえない。「立場」というものがある。
どうしても参拝したければ、議員として当選する前の「候補者」の時期に済ませるか、(衆議院なら)解散したあとか任期終了のあとにすべき。公務員でなくなれば、自由は保障されてしかるべしであろう。
が、在任中にその自由は無い。なぜなら、「権力者側」だからだ。「一市民として」ならば、立場的に一市民になってからすべきでしょう。
それと同レベルだと思いますよ、言論の自由というのは。
これは、曖昧にしていい部分ではないと思う。
それと、「憲法」というものは、「為政者に対して規制をする」ものである。為政者に、コレをしなさい・アレはしちゃいけません、って事を律するのが憲法。だから、為政者に都合が悪いのは当たり前。
首相と言えども一個人、ってのは通用しない。首相は首相でその国の最高権力者(日本の場合)でしょう。
つまり、首相の言葉ってのはそのまま日本政府の発言、なワケ。
自由に発言したけりゃ、首相なんて辞めれ。極端な例だが、鳩ポッポな元首相は辞めたあとに問題を起こしちゃくれてるが・・・同じことを首相がやったら国際問題だべ?休暇中に一個人としてやりました、は通用しないだろ?
そういう事ですわ。