「三度目は無いよ。挑戦するのは構わないけど、もぅ失敗しても救わないからね」という意味だからね!
小沢一郎の裁判。
田中(角栄 元総理)、金丸(信 元自民党副総裁)、と続いて、なぜこの小沢一郎が政治の世界に居られるのか。
百歩譲って、虚偽記載をした4億円の出所についての弁解。自己資金と言ったり政治献金と言ったり、覆った事3回。
仏ですら許さない3度目で、なぜこうも自信マンマンなのかねぇ。しかも、「その言い訳ができるのは小学生までだろ」とすら思われる、問題のすり替え。
今回、起訴に踏み切ったのは検察ではない。国民が「裁判でシロクロはっきりさせろ」と起訴したのに、なぜか長々と裁判冒頭での検察批判。検察は、国民に言われて捜査していたに過ぎない。
今回の起訴で検察を批判すると言う事は、国民の意思を蔑ろにすると言う事で、別に「国家権力の乱用」ではない。
そして、国会での喚問の拒否。「裁判で(虚偽記載をさせた事に対して)シロかクロか」を明らかにする事と、そのやり方(4億円という資金の集め方とその虚偽記載)が「政治家として許されるかどうか」を議員同士で決める事と、なぜか混同している。
いぁ、理解っていてドンブリ勘定にしてウヤムヤにしよう、というのが明白だ。
4億円の出所を「検察が調べているんだから、検察に訊きなさい」、ねぇ。
つまり「俺はボロを出すようなヘマはしてないから、勝手に調べてみろよ。俺の口からは言えるようなカネじゃねぇんだから」って事だよな。清廉潔白一点の曇りなし、なら自分の口から言えるだろ。額が億でも兆でも。
推定無罪。
裁判の大原則だけど、これと「政治家として相応しいかどうか」は、別問題よ。政治家ってのは、「一転の墨もない純白」じゃなけりゃいけないのよ。
裁判では、「グレーはいくら黒に近くても純黒でなければ無罪」かもしれんけど、政治家としては「一点の墨があればいくら純白に近くても黒」なんだよ。純白のヤツが一人も居ないから、日本の政治は「政治屋」に運営されてると言われるんだけどね。
岩手県民に訊きたい。
なんで、この人を恥ずかしげもなく「先生」と言って議員に当選させてたんだ?